2009年7月 9日 (木)

やせ細る政治

ニューヨークに住む日本人から聞いた話。ある日本通の友人の言うところによると日本の報道番組の中にはニュースとバラエティが混ざり合って境目がはっきりしてないものがあるという。アメリカのニュース報道はニュース一筋のお堅い番組でバラエティの要素が入る余地はない。ところが日本ではお堅いはずの政治討論会の司会がコメディアンであったりする。真剣な討論の場にお笑いは似つかわしくないというのである。

確かに日本のメディアは視聴率を金科玉条、何事にも代えがたい価値基準とみなしその前にひれ伏す。民放・夜8時台のゴールデンタイムはたいていの局が愚にもつかないクイズ・バラエティ番組かコメディアン達の仲良しお遊び番組である。でもこれが高い視聴率を呼ぶ。スポンサーを喜ばせなければならないのだからTV局のおもねりも分からないではない。

それにしても近頃メディアはバラエティー組の中に政治家を登場させることが多くなってきた。出演者の多様化のためであろう。個性の強い政治家は独特の雰囲気を醸し出して下手なタレント顔負けの存在感を示す。挙句の果ては忠臣蔵などの舞台劇に出てきてチャンバラを披露したりする。目先が変わって面白いというので登用されるのであろう。一方政治家は選挙民に顔を売るのにこんな効果的な媒体はないから競って出たがる。こんなところから政治の娯楽化がはびこってきた。とはいえ国の将来や戦略を探る真剣な討論や報道番組までもがお笑いでまぶされたのでは日本の将来も薄味になってしまう。


そんな時に東国原知事の登場である。常識外れの「国政進出への条件提示」は正に噴飯ものである。Photo
伝統ある大政党もずいぶんと安く叩かれたものである。自民党の古賀選対委員長も一体何を考えているのだろう。党勢が衰微の一途を辿っているとはいえ大事な国政の場である。人気者の知事を取り込んで衆院選を立て直そうなどは政権党のとるべき道ではない。当然政策論争で先ず相手(民主党)を論破するのが常道ではないか。少し国民を過小評価している。その証拠に知事の国政出馬に反対が8割を占めるとの世論調査結果が出た。

こんなことで国の行く末が決まってしまうのでは、まことに心もとない。アメリカも中国も国の存亡をかけて必死の外交を展開している。和気藹々の国連中心主義ではもう国益は図れない。国民は政治がやせ細っていくのを黙って見ていていいのだろうか。職がなくて希望を失いつつある多くの国民を救うためにも洞察力と決断力を秘めた力強い指導者の登場が今ほど待たれる時はない。

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2009年6月30日 (火)

雨の新宿う~ら通り

28日、家内が伊勢丹へ行きたいというので愛車ムーブで出かけた。日曜だから路上パーキングが無料の場所へ停めれば何時間でも駐車代を心配しないですむ。だけど伊勢丹の周りにはそんな場所はない。因みに三越や高島屋のある日本場所には近くにそんな場所がいくらでもある。もっとも以前に秋葉原へ行ったとき昭和通りを隔てた裏町に安心して停めたところ駐車違反切符を貼られて青くなった経験がある。日曜でも無料にならないところがあるから要注意だ。

そこで四谷三丁目の先の御苑トンネル手前を右折してゆるい坂の途中の路上パーキングに停めた。先ずは一安心。で、15分も歩けば着くと伊勢丹目指して歩き始めた。あいにく雨脚が強くなってきた。腹も減ってきた。ズボンの裾が濡れるのを気にしつつも目は食堂の看板を追っている。新宿通りの裏路地でラーメン屋が一軒目に入った。航海屋という。カウンター席が七ぶ方埋まっている。基本はチャーシュー麺らしい。入ってみた。魚系のダシだがチャーシューとともに味は今一歩。本当は来る途中、門仲(葛西橋通り)のラーメン屋「こうかいぼう」に寄る予定だったのだがあいにく日曜で休みだった。ここのラーメンはうまい!Photo
 いつも路上に10人以上並んでいる。葛西の「千葉きや」の味が落ちて足が遠のいたあとこの店が贔屓である。同じ「こうかい」でも今日はちょっと後悔した。雨脚が気にならなければもう少し探し回るのだが、まぁしかたがない。

家内が買い物をしている間新宿3丁目からJRの駅に向かって歩いた。大通りを行きたいのだがこの雨だ。路地裏から今度は地下にもぐった。地下道伝いに高島屋の東急ハンズに行った。7階のおもちゃ売り場が目当てだ。アメニティーグッズがいろいろ置いてある。先ず目に入ったのが腹筋運動をする猫や豚。種類は色とりどり。しばらくは目を細めてこっけいな動作に見入る。吊るした細い棒が自然に白い粉の上にいろいろな円を描いていく不思議な仕掛け。名前は忘れた。戦国武将の鎧兜のミニチュア。「愛」を兜に掲げた直江兼続もある。楽しい。中国語もあちこちで聞こえ、意表をつくグッズに奇声を上げている人もいる。西洋人もちらほら。中には「となりのトトロ」の小さい縫いぐるみをいくつも籠につめている外国人女性がいた。しかしなんと言っても興味を引かれたのが無線で飛ぶヘリコプターの小さい模型。値段は1万円少々。心がときめく。Photo_2
でも衝動買いはやめて次回来たときには買うことにした。昔から動く模型には興味を引かれ、天賞堂でデゴイチを買ったりロンドンのおもちゃ屋で蒸気でベルトが動くミニ工場を買ったりしたことがある。東急ハンズはやはり楽しい。

帰りは四谷3丁目までメトロで行こうと主張をしたが受け入れられず再び雨の中をとぼとぼ歩いた。駐車代をうかすのも大変だ。

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2009年6月17日 (水)

カミソリ・・・ん? ヒゲソリじゃないの

カミソリはジレットの肌に吸い付くような剃り心地が好きだ。替え刃が切れたので買いに行った。ホールダーが古いせいか二枚刃のものが見当たらない。いろいろ探してみたら「首振り式2枚替え刃 Gillette Actas Plus」というのが見つかってホッとした。ところがこれがジレットの差し込み式のホールダーに合わないのである。しょうがないので手持ちのシックの抱え込み式のホールダーで試してみたらピタリと合った。ジレットの刃がジレットでなくシックのホールダーに合うとはどういうことだろう。使ってみたらあの吸い付くような剃り心地ではなかった。

カミソリはなぜヒゲソリと言わないのだろうか。それはもともと髪の毛を剃る道具だったからである。6世紀仏教の伝来とともに僧侶の頭髪を剃る道具として大陸から伝わった。Photo
そして後年一般庶民のあいだでもちょんまげ頭のサカヤキを剃るのに小刀風の和かみそりが大いに重用され一般化した。

安全カミソリが米軍によってもたらされるまでは理容店で使っているような刃渡り5cmくらいの中折れのレザーカミソリ刃が家庭でも使われていた。Photo
これは扱いが微妙で難しく剃り傷がつきやすかった。それに定期的に砥石で刃をとがなければならない。そこへ誰でも使える安全カミソリが登場し爆発的に普及した。当初のは極薄で両刃の交換式替え刃だった。長方形の半円に反った傘にギザギザの柄がついたアレだ。Photo_2
3回使うと剃れなくなった。今でもこのタイプは両刃カミソリ替え刃として売られて一部のマニアに人気がある。ドイツ製の高価のものは1万円以上もする。

今の替え刃は毎日剃っていても一月くらいは切れ味もそう変わらないのではないか。3日坊主の昔と比べたら隔世の感がある。こんなに長持ちするようになると当然のことながら売れ行きが落ちる。いいものを作っているのに売れにくくなるのはメーカーにとっては大きなジレンマであろう。だからメーカーはホールダーのデザインを変えたり刃の枚数を増やしたりして目先を変えてきた。その結果私のように10年も前のホールダーをいつまでも使っているとそれに合う替え刃を探すのに骨が折れるのである。今は5枚刃のものまである。2枚刃とそんなに剃り味が違うのだろうか。

ところで替え刃の高品質化の裏には実は純度の高い鉄を叩いて精錬する日本の鍛造技術が潜んでいる。日本刀を作るために発達した鍛造技術は世界に類を見ない優れたものである。日本でカミソリ刃用に生産される「帯鋼」は、世界のカミソリメーカーの需要の約60%以上を占めているという。カミソリを毎朝使う世界の男達にとっては長持ちのする日本製の替え刃はまことにありがたい存在である。

日本ではシックのシェアが6割で圧倒的に強い。それに比べジレットは2割であるという。ひょっとしたらジレットはシックのマーケットに迎合して窮余の一策としてジレット・アクタス・プラスという替え刃を売っているのだろうか。だとしたら私はその商法の犠牲者である。

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2009年6月 4日 (木)

音楽の才能がない理由

ウクレレ教室に通いだして3年目である。どうも思うように上達しない。先回先生がこんなことを言っていた。楽器は音符をたどって記憶をして覚えるのではなくて感覚的に指が動くように反復練習が効果的であると。

そして更に続けた。「両手の指を握りあわせて組んでください。どちらの親指が上にきますか。Photo
記憶をどちらの脳でしているかを見ます。左の人は右脳で右の人は左脳で記憶をしています。右脳は音楽脳といわれ、直感、ひらめき、芸術等の分野に優れ、一方、左脳は言語をつかさどり言語記憶、論理的思考、計算などの分野と言われています。」

指を組んでみたら右の親指が上だった。ということは記憶を左脳でやっているということだ。なるほど計算が苦手なこと以外は思い当たることが多い。軽音楽は大好きだがオペラを聴くと眠くなりジャズでもメロディー性が薄いとお経を聞いているのと変わりない。一方ブログを書いていても感覚的なものよりどうしても理屈っぽい方が多くなる。ウクレレを覚えるのも感覚的でなく音符を辿って覚えようとしているということか。だから上達が遅いのか。

更に先生は言う。「さて今度は腕を組んでみてください。これは自己表現を見ます。Photo_2
右腕が上の人は左脳、左が上の人は右脳で表現します。」早速腕組みしたら左腕が上だ。ということは右脳が勝っているということ。すごーイ!などの感覚的表現が多く長島茂雄タイプの人だそうだ。 

どうもこの辺から自分の認識とは違ってくる。そこでネットで調べたら自己診断というのがあった。そこで記憶左脳、表現右脳の性格診断をしてみたら
「論理的にとらえて感覚で伝えるので、本人は的確に理解できていることでも人には理解してもらいにくいかも。  頭の中では分かっているのになかなか人に伝わらないというあなた、ひょっとしてこのタイプではないでしょうか」 だそうである。 「おれの話って分かりにくい?」  ともあれ、ことウクレレについては妙に説得力があるのが悔しい。

 *指を組んだり腕組みするのは人によって上下が逆になるということをはじめて知った。ことに指を組むとき 左の親指が上に来る人がいるなどは思いもよらぬことであった。右利き左利きとの関係は?

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2009年5月28日 (木)

初夏の息吹

今庭先では花も木も鳥も初夏の息吹を浴びて「我が世の春」を謳歌している。ミモザの黄色がようやくあせ、つつじが妍を競って牡丹やシャクヤクが花びらを散らした後・・・、去年は数輪しか咲かなかった品のあるバラ、ピエール・ドゥ・ロンサールが今年はなんと66輪もつぼみを付けた。P1000051
肥料のせい? いや多分遠方よりやってきてこまめに剪定してくれた友のおかげであろう。花は手を加えれば応えてくれる。友と花に感謝。真っ白なバラと傍らの12~3本ある紫のデルフィニュームとの競艶が珍しいのかきれいだと声をかけてくれる人もいる。うれしい。

今年もりんごの花が咲いた。そこはかとなく咲く。それでも去年は実が2個なった。油断していたらヒヨドリが突っついて大きい方の実を食い散らかした。Photo
そこを切り取って食べたら津軽の味がした。今年は実がなったら津軽のまねをして袋を被せよう。

ピンクに白の、きれいな花を咲かせるお気に入りのさつきがある。ところが去年その花を見ていた隣人が蜂に刺されて病院に運び込まれた。その脇にきれいなこれもピンクのタチアオイが咲いていて蜂がよく群がっているのを知っていた。しかし巣があるのは気がつかなかった。蜂は好みの花のそばに巣を作るという。責任を感じてさつきを植え替えた。そのかわり今年は蜂もこないがそのさつきも咲かない。

テラスの上に一対の沖縄シーサーがいて庭に睨みを利かせている。阿吽(あうん)の2体のうち口が開いたほうの阿形におととしシジュウカラが巣を作った(写真)。Photo_2
腰ぐらいの高さのところに口がある。ときおりネコが闊歩しているし田舎だから狸も出るという話も聞く。そのせいか去年は営巣しなかった。それが今年は戻ってきた。昔はどこの家でもこの季節になるとツバメが軒下に巣を作ったものだ。今は全然来てくれない。それだけにシジュウカラの再来はうれしい。親鳥が交代で5分おきに餌を運んでくる。よくもあんなに虫が見つかるものだ。そのうちかすかに雛のさえずりが聞こえてきた。どうか無事に巣立ちますように。

そろそろ梅もぎの時期だ。梅雨に入れば、もいでいい。ウチの梅は梅干にするには少しすっぱい。だから梅酒や梅ジャムにする。今この梅をもぎに来るのを心待ちにしている友が二人いる。1人は先ほどのバラを剪定し、徒長した梅の木の枝落としもしてくれた人。もう1人は枯れた棕櫚の木を伐採してくれた人だ。できたら同じ日に来てもらって庭でバーベキューでもやりたい。

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2009年5月21日 (木)

無理を通せば道理引っ込む

中国の経済、産業の急速な発展には驚かされる。つい30年前頃までは天安門広場の広い通りはおびただしい数の自転車がひしめいていて人民服を着た男女がバス乗り場に群がっていた。それが今は自家用車が渋滞をつくり若い女性のファッションはもう東京と余り変わらない。経済発展の早さは正に瞠目に値する。外貨準備高は昨年1兆6822億ドルで2位の日本を5700億ドルも追い越し世界一だ。自動車販売台数、今年は米国を抜き1千万台を越えるという。今中国が世界経済を引っ張る強力な機関車だ。ニューズウィーク誌などを見ると中国の特集でうずまっている。日本の記事などは虫眼鏡で探さないと見つからない。それに加えて強大な軍事力。この経済力と軍事力を前にしたらわが国などひ弱な葦みたいなものだ。

21世紀の企業は中国に販路を求めずに事業を拡大することは難しい。そこで各国の首脳や経済界のリーダー達は北京詣でを繰り返し笑顔を振りまく。中国は自分達がいま高く売れることをわきまえている。そこでいろいろな無理難題を持ち出してくる。最近デジタル家電などのソフト情報をメーカーに強制的に開示させる制度を5月に発足させることを明らかにした。企業は知的財産の保護には大変神経を使ってお金もつぎ込んでいる。自社開発の技術やソフトは製品の価値そのものである。これを開示してはたちまち競争力を失い売れなくなる。もし開示を拒否すれば将来性のあるマーケーットからはじき出される。国際的にも批判を浴びているがこの二律背反の狭間の中で各国がどこまで共同歩調をとって中国に対抗できるか疑問だ。

知らなかったが北京―天津間には日本の新幹線車両が走っている。台湾の高速鉄道に新幹線を輸出した時にはメディアも大々的に報道したが中国の場合はほとんど知られていない。Photo
それもE2系という最高速275Kの車両だそうだがなんとこの路線では世界最高の350Kの営業速度で運転されているという。モーターの付いた車両を増やしてスピードアップを図り中国の技術を売りにしているという。車両と技術を輸出した車両会社とJR東日本は設計性能を大幅に越える高速運転に対し安全性を心配しているそうだ。ブラックボックスなしの技術供与が行われるとこういうことになる。このため契約60車両のうち9両だけを日本が輸出し後の51車両は中国製となり日本は車両輸出で儲けられないというジレンマに陥る。日本の虎の子の新幹線技術がこうして簡単に他国に渡ってしまった。大市場を得るために技術を提供するというやるせない決断がいろんな分野で起こってくるだろう。

中国は経済で既に強国となり軍事力でアメリカとしのぎ削っている。この上、技術力、ソフト開発力を付けていけば鬼に金棒、正に世界のスーパーパワーになる。そうなれば隣国である台湾、韓国、日本は隋唐の時代に逆戻りし北京に朝貢し忠実な属国として頭を下げて冊封使(さっぽうし)を迎えなければならなくなるかもしれない。

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2009年5月 7日 (木)

久しぶりに新幹線で、仙台へ

4月30日から一泊で仙台へ行ってきた。野暮用もあったが一泊ホテル付新幹線往復で一人14,600円という料金が魅力的であったこともある。久しぶりの新幹線だ。子供のようにはしゃいで家内を押しのけて窓側の席に座った。Photo
ところが仙台行きやまびこ号は総二階建てで我々の安料金の席は当然一階席。一階というよりも地下室といった方がいい。席に座るとホームに立っている人の靴でおでこが蹴飛ばされるような格好となる。ミニスカートのご婦人などは車両に近寄らない方がいい。(本音は近寄ってもらいたい!?)

走りだしても防音壁でさえぎられて外の景色がほとんど見えない。この列車は最大16両編成でその場合は1634人が定員で世界最多という。ただし最高速度は240Kと少々遅い。退屈しのぎにデッキに出た。するとその脇に中二階の小さな客室があった。ということは一部3階建てだ! どの客室でも当然車内販売はやって来る。カートはどうやって上げる? と思ったらそれ専用のエレベーターがあった。成る程。

郡山を過ぎる。ここには学生時代の親友がいる。銀行員となったが激務のため体を壊し退社、奥さんの実家の家業を継いだ。その後も体調思わしくなく爾来疎遠になりがちである。一度夫婦で安達太良山(あだたらやま)に連れて行ってもらった。由緒あるホテルでご馳走になったこともある。Photo
その安達太良山が磐梯山とともに残雪に輝きながら神々しい山容を現した。心の友だった。しばし追憶の世界に遊んだ。

福島で山形新幹線つばさが切り離された。連結されているのを知らなかった。つばさはこのあと在来線で山形に向かう。福島を出た後のデッキの車窓から見る田園風景は美しかった。木々は淡い萌黄色である。ところどころで桜が満開である。遠目には色合いがまるでソメイヨシノであるが。でも時は4月30日、やはり山桜か。いずれにせよ今年2度目の満開の桜が見られてうれしい。また黄色い菜の花畑があちこちに見られた。花は心のビタミンだ。

いたるところに水田が光っている。これから田植えの時期だ。この辺では農家が水田に四方を囲まれているところがある。秀吉の高松城の水攻めもかくやと思わせる(ちょっとオーバー)。そうかと思うと水田の中に瀟洒な西洋風の住宅が建っていたりしてミスマッチがまた面白い。山の斜面を見ると姐さんかぶりの農婦が鍬をふるっている。しばらくお目にかかれなかったなんとものどかで懐かしい風景だ。もう少し車窓の景色を楽しみたいので2階の客室を覗いてみる。がら空きだ。そっと最後尾の席に腰掛ける。ウワーッ、快適!と思う間もなく検札の車掌さんが現れた。あたふたと「指定席」のデッキに戻る。東海道は富士山を別として景色はどこも余り代わり映えしないが東北の田舎はやはり優しく変化に富み飽きさせない。日本の田舎はどこも同じでつまらないと言ったことがあるが東北は違うようだ。花だけでなくあちらこちらに心のビタミンがあふれている。地下室で眠っていてはこのビタミンを摂取できない。

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2009年4月23日 (木)

安くておいしいご近所のお店

妻が都合で不在の時は外食をすることになる。ところが近くのレストランや食堂は高かったり味が今一だったりでだんだん足の遠のく店が多くなる。好きで通っているうちにそこの味に飽きてしまったりすることもある。その中でまだ飽きが来てない店のメニューをいくつか紹介する。

場所は新浦安アトレ。新助という店のランチメニューに海鮮ちらしというのがある。値段580円と激安。この店は以前から刺身が新鮮でおいしいので知られていた。店主が築地の市場に顔が利くらしい。Photo
ここのところ以前ほどではないがそれでも刺身はおいしい。しかしここのちらしの真骨頂は程よく味付けされた酢飯にある。ジャコや胡麻がまぶしてありこの味付けが絶妙である。ただ欠点がひとつ、一日限定30食まで。したがって海鮮ちらしにありつけるかどうかは時間との勝負である。たいてい11:30までには店に入らないとなくなってしまう。朝食の遅い私にはその気にならないとこの時間までには間に合わない。ランチの刺身定食(850円位)よりもおいしい。これと同じ値段でいいからいつでも食べられるようにして欲しいと頼んだが断られた。店の客寄せの戦略だろうからこれは受け入れられまい。

夜の部となるとまたもう一味違う店がある。駅から「お散歩バス」で10分、それは」住宅街にある。境川のそばだから「里波亭(リバーてい)」という。ここはお好み焼き屋であるが目玉は極上のマグロ刺しと刺身盛り合わせである。トロマグロの旨さは正に別格、高級すし屋並みである。これだけでお散歩バスで来た甲斐がある。それにお好み焼きともんじゃ焼きとお酒をたのんで前回は一人2500円だった。ここにも欠点がひとつある。予約がきかない。5PMまでに店の前に並ばなければならない。5時の開店と同時に席は満席となる。5時に入れなかった人は1回転して7時頃に最初の席が空くまで椅子に並んで待たなくてはいけない。待たれていると落ち着いて談笑もしていられない。この前は6時半で切り上げた。マグロが漁獲制限を受けて高くなりつつある。いつまでトロとお好み焼きのコラボに舌鼓を打っていられるか気になるところではある。

付録としておいしかった讃岐うどん屋の鎮魂歌を一席。それは市役所の前にあった。「瀬戸内」という手打ちうどんのその店は中年夫婦が営んでいた。昼時はいつ行っても満員でちょっと時間がかかるのが難点であった。しかし麺の腰が強く味がいいのでちょくちょく寄せてもらった。中でも夏はぶっ掛け、冬は煮込みがうどん好みであった。特に煮込みの味はここでしか味わえない逸品であった。値段は650円。ところが今年初め突然閉店してしまった。あんなに人気があって繁盛していたのに何故? 職人肌の店主に何かあったのか、気にかかる。

浦安にはディズニーに向けて有名ホテルがいくつもひしめいていて高級レストランが沢山ある。しかし手軽にいけておいしくて安い、人気の「ご近所のお店」で味わえる満足感は高級レストランに勝るとも劣らない。

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2009年4月16日 (木)

理想の社会

人類が登場する前の地球と同じ天体が発見されたと仮定して、それをどんな人が住むどんな環境の星にしたいかというテーマで数人と議論した。前提が漠然としていたので議論がかみ合わない恨みはあったがしばしの間勝手な空想の世界に遊んだ。以下は私が考えた世迷ごと。

 人の肌の色を一つにする。つまり人種差をもうけない。
人類に何故白人・黄色人・黒人の差が生まれたのか。科学技術や芸術でこの数世紀をリードする白人が明らかに優位にある。それも目鼻立ちなど外見も明らかに優れている。白人以外の人種はその点でコンプレックスを感じながら生きざるを得ない。ホモサピエンス(現生人類)は遺伝子で元を辿ると20万年前アフリカにいた一人の女性に行き着くという。それがどうして今の人種差を生み出したのかほんとうに不思議だ。同じ種類の動物でも姿や色は色とりどりだから人と同じだという人もあろう。確かに同じ猫科でもライオンとチーターでは力に差があってライオンが圧倒的に優位である。この差は単に体力差である。人と動物では一緒にならない。オバマ大統領の登場はこの点で画期的な出来事だったが、彼がもし生粋のアフリカ系であったら大統領になれたか。

 宗教は一つとする。
地域の紛争の大方は宗教に起因する(と思う)。その最大のものがキリスト教徒とイスラム教徒との長い悲惨な闘争の歴史である。ユダヤ教を含めて三大宗教は、「旧約聖書」という同じテキストを有し、聖地もエルサレムに集中している、いわば兄弟同士である。また北アイルランド紛争もケルトとアングロサクソンの人種戦争のような趣もあるがやはりカトリックと英国国教会との争いである。
宗教は本来人々の心の安寧と幸せのために自然発生したものであるにもかかわらずそれが憎しみや戦いの種になっているという矛盾はどう解釈すればいいのか。わが国にも世の不合理を嘆いて「この世に神も仏もないものか」と昔から言い習わされてきた。三大宗教間の長く執拗な戦いを見るとこの言葉が強く響いてくる。そうかと言って人間は神を信じなければ生きていけない。私も宗教心は極めて薄く無宗教のようなものだがそれでも仏壇を拝み神社を見ると手を合わせたくなる。だからこの世には神はなくてはならない。そこで皆同じ聖典を戴いて宗派・異教徒を作らない単一宗教とする。

 国家の存在は必要か。
諸悪の根源は国家エゴにある。とは常識のように言われていることだ。確かに戦争も紛争も国家間で引き起こされることが多い。だから本当は世界がボーダレスになればいい。しかし自然発生的にそれぞれの地方に固有の言葉が発生し習慣や伝統が生まれる。そうした同じ文化を共有した地域が寄り集ると一つのまとまりが出てくる。いわば文化の地域的くくりとして国ができる。だからこれを否定することは固有の言葉や伝統、習慣をなくすことになりかねない。人が生きる喜びを感じながら幸せに暮らすためにはそのよすがとなる同じ文化の下が一番自然である。日本人が正にそれだ。しかし国家のエゴは許さないといいう強い規制をはめる。
EUは国の壁をなくす理想の下に先ず通貨の統一から初めて人・物・資本の移動の自由までも実現した。果たして将来自分達の言葉や伝統を捨ててまで一つの政府の下に団結できるだろうか。勢いのあった英国経済が金融危機のあおりで失速し失業が増大した。出稼ぎのポーランド人が12万5千人もいたが大半が職を失い国に帰されている。やはり危機の時には自国民の雇用確保が優先されるのが現実である。

 そこで理想の姿は?
人種差別や異教徒との確執がなくそれぞれの言葉や文化を温存しながら幸せに暮らせる社会・・・歴史上に範を求めたら一体どこになるだろう。
先ず思いついたのは2000年前のローマ帝国の地方都市ポンペイの姿である。
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電気も石油(したがって車)もないがそれ以外の生活の豊かさは現代の日本以上ではないか。政体も共和制でかなり民主的であった様子である。活発な商業活動で豊かな生活を営み、おいしいワインを飲みながら音楽や絵画を楽しみ食生活も現代と差はない豊かさ。道路、水利などの都市インフラは馬車道や横断歩道にいたるまで完備されていた。
と、ここまでしゃべった時反論がでた。いわく人口の3分の1は奴隷だったではないか。軍隊もあったではないか。確かにこれはかなり致命的である。それなら他にどんな地域があるのかと反問したらなんとアメリカ・ペンシルバニアのアーミッシュの共同体を挙げてきた。18世紀のドイツのプロテスタントの生活習慣を踏襲している人々の村落である。Photo_2
電気がなくしたがって家電もない。車もなけりゃ電話も敷かれてない。85年に映画「目撃者」でその生活様式が紹介された。家も自分達が共同で建てる場面があった。今のドイツ人が聞いても分からない古いドイツ語をしゃべっているという。 確かにこれは理想の世界に近い。
でも良く考えて見りゃこれは江戸時代の日本だって同じでは? そう、鎖国のため侵略される恐れもなく、260年もの間戦争もなく、元禄文化が花開き、方言や地方の伝統・文化は大切にされた。人種だってむろん一つだ。宗教も昔ながらの神仏混淆で争いの種とはならない。全体はかなり貧しかったが人々はつましく生き多分それなりに満足していたろう。理想社会は意外に身近にあった。

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2009年4月10日 (金)

徳川時代を生き抜いた豊臣恩顧の大名たち

私は小説でもドラマでもハッピーエンドが好きだ。自分が主人公になった気分で楽しむのだから最後に不幸になるよりも幸せになって将来に希望を持てるほうがいい。

それが戦国時代大名達にとっては戦いに負けるか勝つかはそのまま自分の命ばかりだけではなく家臣とその家族の命運、はては領土まで失うかどうか、剣が峰に立たされ続ける毎日となる。勝つ側に立つか負ける側かどちらを選ぶかで運命が決まってしまうのだからその選択の重みはいかばかりであったことか。

そのハイライトが秀吉無きあとの豊臣=徳川のはざまで揺れた意地と忠節心、あるいはまた優柔不断と惑いが錯綜する武将達の物語である。主君に忠節を尽くしむなしく敗れ去る者あり、西軍として戦いながら水面下で密かに家康によしみを通じて領土を安堵される者ありで人の世はいつも無常である。一度は家康に招かれながらこれを肯(がえん)ぜず大阪夏の陣では獅子奮迅の働きをした真田幸村、一時は家康の本陣を襲い家康を危機に陥れたがそのあと壮烈な討ち死にを遂げた。その奮戦振りは東軍からも「真田、日本一の兵」と賞賛された。一方織田、豊臣、徳川、三代に仕えてしたたかな処世術を発揮した藤堂高虎はいわばサラリーマンの鑑か。「武士たるもの七度主君を変えねば武士とは言えぬ」と言ったという。

徳川の外様大名として生き残った豊臣恩顧の大名達にはいくつかの類型がある。

○ 関が原の戦いで東軍(徳川軍)として戦い戦功を挙げ幕末まで存続した大名家
 黒田長政 筑前福岡藩  52万石
 藤堂高虎 伊勢国津藩  30万石
 山内一豊 土佐国土佐藩 20万石
 細川忠興 豊前小倉藩  39万9千石 後、肥後熊本藩 54万石
 池田輝政 播磨国姫路藩主 52万石

○ 関が原の戦いで親子・兄弟で東西に別れ存続を図って成功した大名家
 前田利長 加賀藩    119万石(譜代並み) 弟は西軍に就く 父は豊臣筆頭大老
 真田信之 松代藩    13万石 上田より移封 父昌幸、弟幸村は西軍で戦う

△ 関が原で西軍ないし中立(日和見)で減封・移封された大名
 毛利輝元 長州藩 旧120万5千石→36万9千石 減封 西軍総大将
 島津義弘 薩摩藩 56万石 旧領石高安堵!
 上杉景勝 会津藩→米沢藩 旧120万石→30万石 移封・減封

● 関が原で東軍に就きながらの秀忠の時代改易・取り潰し
 福島正則 安芸・備後 49万8千石
 加藤清正 肥後熊本  52万石 子忠広のとき改易

この分類を書きながらも戦国武将のすさまじい生き様が伝わってくる。秀吉股肱の猛将、正則と清正は三成への反感と意地から徳川のために大いに働き功績大であったが家康亡き後幕府はその力を恐れ改易した。この二人には武辺者の豪胆さと潔さを感じるが輝く武運の末ははかないものであった。前田家は御三家に準ずる破格の厚遇を受けた。父利家が豊臣家の筆頭大老であることを考えれば正に一番のハッピーエンドだ。島津の図太さに比べ毛利の惨めさが対照的である。長州藩では新年の会において、家臣より「今年は倒幕の機は如何に?」と藩主に伺いを立て、それに対し「時期尚早」と藩主が答えるのが毎年の習わしだったという。その悔しさが討幕運動の原動力となった。

この時代は侍の数だけ苦闘の物語がある。命をかけた生き残りの戦い。宗教なしにこれほど命を張って時代を駆けぬけた武人集団がよその世界にどれだけいただろうか。

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